ケンコウに生きる

読んだ本の書評や日々の雑感をまとめたブログです。

諦観。

静岡に向かっていま

大学時代の友人が住む静岡。

会社の転勤で仕方なしに移動した静岡。

大阪時代に職場の上司ともめて、嫌気がさして、「どこでもいいから異動させてくれ!」と申し出て異動した静岡。そんな熱い友人、そしてこれまた私の大学時代の友人の奥さん。その二人の間に生まれたかわいい赤ちゃん、そんな順風満帆な家庭を訪ねて静岡に行くわけです。

静岡では特にすることもないのですが、赤ちゃんのために買った一足早いクリスマスプレゼントをあげる予定にしています。本当にかわいい赤ちゃんなので、ま、赤ちゃんがかわいいと思える歳になったなともいえるのですが、非常に楽しみにしています。しかし、時間が遅いので、到着時刻は20時台、それが嫌がられてないかなーと戦々恐々としているわけでもあります。でもかわいいものはみんなでシェアしないとダメでしょう!!?

で、最近周りに子供が生まれるにつれて、うらやましいなー子供ほしーなーなんて思っていたのですが、最近そうでもなくなってきました。思えば、去年に結婚というものをあきらめて貯めていたお金を使おう!と車買って、たばこ吸い始めて、ゴルフ始めたのですが、そのときにあきらめた結婚観と近いものがあります。未来永劫結婚しないというわけではなく、ここ数年はないだろうなという諦観です。先のことなんて誰にもわかりませんが、備えるということは長いスパンで考えなければならないのです。私はプライベートでは全く予定を立てるのが下手で、いや仕事でもうまい法ではないですがそうしないと仕事が回らないので必死こいて予定立てていますが、下手というか目先のことが気になって先のことを考えてもうまくそのとおりにならないたちでして、そんなところがあって、意味不明に、意味なくお金をためていたのですが、それも続かなくなってしまいました。決して裕福な環境にはないのですが、お金が無くなったら無くなったでいいかな、とまた短絡的な計画性皆無な考えに支配され、昨年は預金をほぼ使い果たしました。その一つの原因がくだんのガールズバーなんですが笑

で、子供も、別にしなくてもよいですが、私の中では結婚が前提にあり、その結婚をあきらめたんだから、子供もあきらめないとねーという感情が強くなってきました。

周りの友人から「結婚も子供も興味がない」という発言が多々なされるのですが、本当に不思議で仕方がない。自分の遺伝子を未来に残すっていう感覚がなぜわかないのが不思議で仕方がないのですが、いや理由はあって「自分みたない人間が子供をつくるべきじゃない」とか「家庭をもつより今の独身時代のほうが楽しい」とか言ってるんですが、それが頭で理解はしても本能的にそうなないだろ、なんて思ってしまうわけです。

ま、この話は望む者が手に入れることができて、望まない者には手に入らないといったことではなく、誰もがいつか突然にやってくる嵐に巻き込まれるようなものなんですけれどもね。

いやはや、周りの友人たちの焦りがないから、自分も焦らないのかな。焦っている先輩もいないしね。交友関係狭いからあまりこういったことを話する人もいない。